2006-10-20
某氏の日記 (Mixi) のコメント欄で「なぜゲネプロと言うのか」というテーマが出てきたので調べてみた。例によって武蔵野市立中央図書館で調べたため大した参考資料には当たれなかったのだけど、少しは見えてくる。音楽史については素人なので、外しているかもしれないし、専門家の中では常識的な話も大げさに書いているかもしれないし。適宜ご指摘いただければ。
●ゲネプロとは
音楽演劇関係者以外には馴染みのない言葉かもしれないので軽く解説。音楽や演劇の本番直前に、本番と同じ条件で通し練習をするのがふつうで、これが「ゲネプロ」と呼ばれる。辞書的には、ドイツ語で「総練習」を意味する Generalprobe (ゲネラルプローベ) の略。英語だと dress rehearsal (ドレス・リハーサル: オペラの場合) あるいは full rehearsal (フル・リハーサル) が相当。この辺は、手元の辞書にも。
つまり元々は、オペラや演劇で、衣装や大道具や小道具まで本番と同一条件に揃えて演出の確認したり [1]、普段は例えば楽章毎に細切れに練習している大規模な管弦楽曲を本番直前に通しで練習して全体の流れを確認したりするためのもの [2]。欧州でも大陸と英国では事情が違っていて、大陸諸国ではこの通し練習には、批評家や専門家や名士が招待されるらしい [3]。英国ではそんなことはなくて、純粋に練習となる。英国で公開される通し練習のことは public rehearsal と呼ばれ[2]、逆にドイツだと、公開されない最後の通し練習は Hauptprobe と呼ばれる [3]。ちなみに現在ではポピュラーミュージックのステージ1回分の通し練習にも使われることもある。
いつ頃から行われているかは調べきれていないが、少なくとも演劇や大規模管弦楽やオペラが登場する必要がある。音楽については古典派以降なので18世紀末以降か。演劇については、rehearsalという言葉がシェイクスピアのいた16世紀には既に使われていることから [4]、もうちょっと古いかもしれない。
●さて、日本におけるゲネプロ史
もともと日本の舞台芸術、たとえば歌舞伎では、衣装や大道具小道具まで揃えた通しの舞台稽古は行われてこなかった。歌舞伎では初日が舞台稽古に相当する。知人によれば能も「シテ方、ワキ方、囃子方(太鼓方、大鼓方、小鼓方、笛方)計6つの別々の流儀が一緒にぶっつけ本番で、一番限り」らしい (thanks to こうじくん)。従って、舞台での通し練習は西洋から輸入された概念であることは分かる。
とりあえず江戸中期までは無視しておこう。日本での西洋楽団は長崎の海軍伝習所に始まることになるだろうか。これが1854年 [5]。それまでは漂着した人が伝えた音楽くらいしかなかった (ジャズ大名 [6] みたいな)。居留地での西洋人の音楽家あるいは軍楽隊による演奏は幕末から始まっており、そこではオペラも上演されていたので [5]、本番前の舞台での通し練習はおそらく行われていたのだろうが、日本人の音楽家との接点はないのでこれもさておく。
宮内庁雅楽部で西洋音楽が始まったのが1874年 [7]。東京音楽学校の前身の文部省音楽取調掛の設立が1879年 [8]。当然これらの教師は西洋人なので、大規模な管弦楽やオペラなどの舞台では通し練習が行われていたと予想される。しかし、いつ頃から大規模な舞台で演奏が行われるようになったかは不明。1894年の日清戦争以降、軍歌が普及して洋楽が大衆化してきた。1903年に東京音楽学校卒業生によるオペラの上演 [9]。そして、1911年に帝国劇場が開場。このときには、初日前に舞台稽古を行う制度が設けられ、これが好成果を挙げたため、舞台稽古が一般化された [1]。つまりこの段階では既に、演奏者の間では舞台稽古を一般化するための土壌が育っていたことになる。余談として、帝国劇場の開場以降、歌舞伎でも新作などでは舞台稽古が行われるようになったらしい [1]。
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